業論【連載第四回】業の法則

 私たちの住むこの世界は苦しみに満ちている。その苦しみの原因は私たち自身の根本的愚かさ、つまり無明にある。故に苦しみから脱れるには、その無明を滅ぼさなくてはならない。
そして無明を滅ぼすには、業論 八項目からなる徳行を修めること、すなわち業論 八正道を実践すればよい。

業論 八正道とは、
業論一、正見論・・物事の本質を正しく見ること
業論二、正思惟論・・正しく考えること
業論三、正語論・・正しい言葉使いをすること
業論四、正業論・・正しい行動をすること
業論五、正命論・・正しい生活をすること
業論六、正精進論・・正しい努力をすること
業論七、正念論・・正しい記憶、または正しい心づかい
業論八、正定論・・正しい精神統一をすること

 以上が、ブッダ、お釈迦さまの教えの根幹をなす業論”四諦八正道”の法門です。二千五百年の長い年月、私たち仏教徒が守り伝えてきた、八万四千の法門と呼ばれる仏教の教えが、すべて、ここから生まれてきたと云われています。

 皆さんお分かりになっていただけましたか・・・・?
え、「もっと簡単に言え」って? そうですね、もっと簡単に言うとですね・・・・そう、「因果応報」って皆さんよく云うでしょう。つまりそれです。
 そもそも「因果」というのは「原因と結果」のことなんです。だから原因に応じて結果の報いがある。何か原因があるから結果がある。逆に云えば、原因のない結果はない。または原因が無ければ、もちろん結果は生じない、ということである。
 皆さんが苦しみに陥った時、必ず何か原因があります。その苦しみから脱れるには、原因を無くしてしまわなければならないと。ところが、ところが、その原因が「どこに」あるのか、それが問題!

 ここで登場するのが「自業自得」という言葉。
 「業」というのは業論 梵語「カルマ」の訳で「業」=「行為」を意味しています。
自業自得という言葉は「自分の行為(業)の責任は自分で背負うしかない」という意味。
 また、仏教では業論「惑、業、苦」ともいいます。惑というのは煩悩、前に言った無明と同じでありまして、業は、行為(業)、私たちの行い。
苦はそのまま苦しみのこと。これはつまり、私たちの煩悩、怒りとか貪り、または愚かさというような迷い、その毎日の心の中にあるものが、行為にあらわれるという事なんです。
で、この行為が三つあって、身体の行い、口の行い、心の行い、これを身口意の三業といい、これが煩悩に基づいているから当然悪い行い(身口意の三悪業)になります。これがそもそもの苦しみの原因である、というのです。
お分かりになりますか?

 皆さんの苦しみの原因は、実は皆さん自身にあると。
「そんな馬鹿な!」って驚く人も多いようですけれど、これはまぎれもない事実。
ところが私たち自身、無明の闇の中に生きているものですから、すぐ「他人が悪い!!」とこう思ってしまうんですね。これではいつまでたっても救われません、残念ながら。自分が苦しいのを、他人のせいにしたい、という気持ちは誰でも持っているものでしょう。でも、そこをグッとこらえて原因を自分の中に捜す。臭いものにはいくら蓋をしてもダメ、やっぱり元を断たなければ、根本的解決にはなりませんもの。

 実は、お釈迦さまは「私は業論者である」と論じています。業論というのは、「人間の現在の苦楽は現在の行いの結果である」という論です。
ただ間違えないでいただきたいのは、業論は運命論ではない、ということ。
 後悔先にたたずというように、昔の行為は今さら訂正できませんが、でも未来は変えられるのです。だから正しい行いを積み上げた人にはよい結果が表われ、誤った行いを積み上げた人には悪い結果が表われる。ならば、今正しい行いをすれば、皆さんの未来は楽しい未来になるはずなんです。

 ですから、皆さん。八正道を学んで実践すれば、それが必ず明るい未来を呼びます。
何故ならそれが、お釈迦さまが説かれた、「ツキのある人生を幸せに生きる」ための極意なのですから。

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